アルゼンティン映画『エル・クラン』を観て

 あっけにとられる映画だった。特にラスト、「その後の彼ら」の文字記述が強烈で、「ちょってまってよ」とか「嘘でしょ? 」とか叫びたくなった。思い出すのは『アメリカン・グラフィティ』(1973)という映画で、やはりエンドロールに出てくる「登場人物のその後」に心が動かされた。
 この映画は1980年代前半(1982~1985)のアルゼンチンで起こった実話に基づくという。一見平和なブエノスアイレス郊外サン・イシドロ地区の豊かそうな家々、それぞれの中では健全な家族が平凡で少々退屈かも知れない日常生活を送っていそうだが、実はその中の一軒で拉致されたものたちがうめきながら殺されていったとなると怖い。
 同じような事件が日本にもあった。それも同じ80年代に。東京の足立区綾瀬(神奈川県綾瀬市ではない)にあるその家は玄関側に南欧風のデザインを施した2階建て。当時の建て売り住宅の殆どがそうだったように隣家とは猫が這うのもやっとというくらい密着していたというのに、1989年11月以来、その家の2階から聞こえてきていたはずの「やめて、助けて」という叫び声に反応した近隣住民はいなかった。翌年春にボロキレのように捨てられた少女の遺体が発見されてから、近所の小学生(らしい)少年がその叫び声を何度も聞いたとカメラの前で言った。その時の動画は今でもYou Tubeで見られる。同じ声が隣人たちに聞こえなかったはずがない。まして、その家の2階を監禁場所として提供した子(高校2年相当の不登校児)の父や母が異変に気づかなかったと言い張るのは不自然だ。しかし彼らはサイレントなまま、そして世間もその沈黙を受け入れたかに見える。それが怖い。同じ1989年には、この事件に誘発されたかのようにして新潟県柏崎市での少女拉致事件が起こった。学校帰りの9歳少女が車に乗った20代無職男にさらわれ、以後9年間をそのヒキコモリ男のもとで暮らすことを強制された。この男にも逮捕当時70代の母親が同居していたが、家に拘束された女の子の存在に気づかなかったと言い続けたまま認知症になった。母親は危険だ。彼女たちは家族の中に起こる異変の全てに闇の衣を被せる魔女で、彼女たちによって「クローゼットの中の骸骨」が次々に作られて行く。多分、今もどこかで。
 今回の映画の舞台になったブエノスアイレス市サン・イシドロ地区のプッチオ家の事件にしても犯人アルキメデス・プッチオの妻にして、同じく犯人アレハンドロ・プッチオの母でもあるエピファニアに訊かなければならないことが多かったはずだが、彼女は何事であれ語ることを一切拒否した。監督パブロ・トラペロはここで2つの選択肢のどちらかを選ばなければならなくなったはずだ。ひとつはエピファニアのコメントを創作すること、もうひとつはストイシズムに徹し、ドキュメンタリーの手法を維持すること。
 2015年に公開されて興行収入の新記録を作ったという映画そのものを観ると、監督はドキュメンタリー化を避けながら、しかもストイックに振る舞って「魔女」の行動(言葉を含む)を創作しなかったとわかる。このように圧倒的な事実の洪水の前では、創作することに謙虚にならざるを得ないのだろうが。
 上に挙げた日本のケースは2つとも少女や幼女たちだが、今回の映画が扱う事件の主犯アルキメデス・プッチオの拉致対象は格が違う。成人男女で、中には息子アレハンドロのラグビーチームのメンバーさえいた。このアルキメデスという人物、もともと軍事政権政府の秘密警察として、反政府勢力の市民を狩っていたということだから、単なる衝動犯ではない。戦前・戦中の日本にも特高警察というのがいて、左翼知識人の拉致や拷問を担当していたが、私たちが寛容すぎるせいか、戦後になって市民たちが彼らを糾弾するといった場面があちこちで起こるということはなかった。広島・長崎の体験の後、我々の父親は呆然としながらただただ食い物を探し回っていたと記憶している。
 アルゼンチンの国民たちは我々の父親たちと大分違っていた。そもそも1976年のクーデターでイザベル・ペロン(あのエビータことエバ・ペロンの後妻)から政権を奪った軍事独裁政権の大統領ビデラ将軍のやったことが苛酷過ぎた。労働組合の指導者や支持者たちを中心とする反政府系と見なす人々を片端から拉致、監禁、拷問、虐殺し、1983年に政権を手放すまでの「汚い戦争」と呼ばれる8年間に3万人の市民を殺したり、行方不明にしたりしてしまった。最終的には経済破綻に直面し、体制挽回を企図して始めた英国とのフォークランド紛争にも負けて、ビデラは政権を手放した。民主化後の政府による当時の被害者の追跡や加害者(大統領を含む独裁政権幹部)の逮捕が未だに続いているというのがアルゼンチンで、民主化後も2回続けて財政破綻し、かつてGDP世界4位を誇った栄華の香りさえないというのが現状だという。
 アルキメデス・プッチオは市民の拉致・拘禁あるいは暗殺を業とするシークレット・サービス(秘密警察)の一員として市民の中に埋没して暮らし、それによってブエノスアイレス郊外に住む中産階級としての生活が出来ていた人なのだろう。ビデラ独裁政権の崩落後、この種の人々は失業し、彼らの多くは貧者の生活に戻ったのだろう。アルキメデスはそうしなかった。拉致の対象を反政府主義者から裕福なご近所さんに変えただけで、中産階級知識人としての対面を保っていた。少なくとも民主化革命後の3年間それが可能だったというだけのことで、「でも普通はそれ出来ないよね」と問われても、「それが出来てしまう人」がいるのだとしか言いようがない。かつてナチスドイツの親衛隊員でユダヤ人300万人をガス室で「処理」したアドルフ・アイヒマンは自身の裁判で「私の欠点は命令に従順だったこと」と言ったそうだ。ドイツ出身のアメリカの哲学者ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判の全てを傍聴して「悪の陳腐さ」と形容した。アルキメデスにもそうした「機械仕掛けの殺し屋」の側面があったと思う。
 彼は秘密警察員という仕事に忠実で、軍事政権崩壊後も彼を庇護する勢力(「大佐」の名で会話に登場する)があったのだろう。しかし給料は来なくなったので、今までの生活を維持できなくなった。ここから彼の「家族愛」が全開する。妻子に苦労をさせたくない、それが家長の務めとせっせと誘拐業に邁進し、息子アレハンドロを巻き込んだ。
 それにしても「この人プロかよ」と思うところはある。そもそも地声で人質の値段交渉なんてしたら、犯人が誰かなんてすぐにバレてしまうだろうに。
 見終わった後にも重くのしかかる謎は息子アルハンドルがなぜかくも深く父の悪行に組み込まれたかという点だ。一家の希望の星でサン・イシドロ地区住民が大切にするラグビーチームのスター。アルゼンチン全体はサッカー強国だが、サン・イシドロ地区での人気はラグビーで、世界レベルでの強豪チームが二つもあるという。アレハンドロはそのうちの一つに属し、地域の人々を魅了していた。その彼がなぜ? と誰もが思うのだろう。事件後暫く経って、この映画の取材が始まったときにもアレハンドロが濡れ衣を着せられたと信じている人が多かったという。
 映画の中で突然アレハンドロの弟がオーストラリアから帰国する場面がある。私が渡された資料によれば、この弟は彼の地へ「亡命」していたと説明されている。ということは、アレハンドロの前に父親の「汚い仕事」を手伝っていたのが弟で、ビデラ独裁政権が終わった時に亡命を余儀なくされたのではないか。そのために長男アレハンドロが父を手伝うことになったのではないか。その弟がなぜあの時期、つまりプッチオ家に警察が踏み込む直前に戻ってきたのか?「もうダメだ」というアルキメデスの連絡を受けて家族崩壊の前夜を見届けるかのように考えてしまうのは間違えだろうか?
 家族の紐帯は強い。良きにつけ悪しきにつけ。真っ暗闇で凄惨なストーリーの背景に家族劇の温もりが観るものに届く。そのように作ってあるから、観客の心は引き裂かれる。それを強調するように流れるブリティッシュ・ポップスの、いかにも気楽な明るさ。監督パブロ・トラペロの作品はもっと観なければならない。